嫌われ松子は私だ

映画「嫌われ松子の一生」を、Amazonプライムビデオで見た。遠い記憶を蘇らせてくれた。
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背取り屋から見た嫌われ松子

見たのは下記リンクのものだ。プライム会員なら無料で見ることができる。

10年ほど前まで、私は背取り屋をしていた。ブックオフで古本を買い、Amazonで売る、という形態の転売業だ。

一般の小売店で商品を仕入れ、それを高値で転売する。それは、私の自尊心を打ちのめした。

要するに、転売屋だ。邪悪な行為とまでは言えないだろうが、一般社会を良くする貢献をできる商売かというと、とてもそうは言えないだろう。それでも、私はカネを稼ぐために、背取り屋をしていた。

背取り屋をしている時、「嫌われ松子の一生」は、文庫本の上下巻が出ていた。そして、ブックオフは、たまに文庫本100円セールをする。文庫本の定価は上下巻それぞれ648円。それをブックオフでそれぞれ100円で買う。そしてそれをAmazonで売る。売り値は、一冊あたり300円ほど。上下巻をGETできれば利益は400円だ。

当時の私と嫌われ松子

当時の私にとって、嫌われ松子は、カネを稼ぐ手段でしかなかった。100円セールのときは、まず最初に嫌われ松子を探した。嫌われ松子の文庫本の装丁は派手で、見つけるのは容易だった。見つけると、小走りにその棚まで行き、本をかごに入れた。

当時の私は精神を患い、会社員としての仕事はしていたものの、いつギブアップしてもおかしくない状態だった。だから、嫌われ松子は、私にとって細い生命線のひとつだった。運良く上下巻をまとめてGETしても利益は400円。その400円を心の頼りにして、当時の私は生き延びていた。会社をクビになっても、背取り屋を続けられれば、なんとか生きられるかもしれない。その、かぼそい希望を作ってくれた本だった。

私は、嫌われ松子の本を生命線として、苦しい日々を切り抜けた。それからしばらくして転職し、良い企業に就職し、背取り屋を辞めた。それから更に10年経ち、40歳を過ぎた今も、なんとか生きることができている。

内容の素晴らしさを知らずに本を売ること

本には、素晴らしい情報が詰まっている。それを私は、たくさん仕入れ、たくさん売った。

それを読めば私の人生が豊かになるのに、お金のために、日々、中身を見ずに右から左へ転売していた。

嫌われ松子は、私の命を守ってくれた本だ。しかし、内容は一切読んだことがない。調べてみると、Amazonプライムビデオで映画が年会費内で見られることがわかった。内容は知らないけれども、私の人生を支えてくれた作品だ。ぜひ観たいと感じた。

嫌われ松子のみじめな人生、私のみじめな人生

松子の人生は、私の人生とはだいぶ違う。しかし、みじめさは共通するものがある。

松子は、安寧がなく、愛されない苦しみを抱え続け、みじめに生きた。私も、背取り屋を続け、社会に良い影響を与えづらい仕事をしていた。だから、私もみじめさを感じていた。

この共通項を感じ、私はこの映画に釘付けになり、目を離さずに見た。惨めに生きるとはこういうことだ。松子は、それぞれの瞬間で精一杯、しかしみじめに、生きていた。

私も同じようなものだ。日々の生活は、取るに足らない。

目標とするものはある。作りたいと思うものがある。目標がある、というと、少し自己肯定できる気分になる。しかし、日々を楽しく生きているかというと、そうとは言えない。

私は作りたいシステムがあり、やらずにはいられないから、それを毎日作っている。でも、やっても楽しいと感じるわけではない。楽しさを感じないまま、手が動く。頭の中のどこかに、名誉欲とか、目立ちたい欲とかがあって、それを実現するためにはプログラムを書くべきだ、と私の脳が解釈して、日々の作業をしているのだろうと思う。

日々を楽しく過ごしているとは言えない。その意味で、みじめと言うこともできる状況だ。

私も、最後はみじめに死ぬのだろうか。40歳を過ぎているということもあり、自分がどのように死ぬのか、興味が湧いている。

私は松子と同じように、日々を精一杯生きている。しかし、みじめさを感じる部分は大きい。やりたいことをやったところで、なにが残るのだろう。残るかどうかは、私が作ったものを見た人が価値と意味を評価する。

私は称賛が欲しいのか、創作意欲を満たしたいのか、お金が欲しいのか、自分でもわからない。わからないまま、勝手に手が動き、毎日プログラムを書いている。

私は、わけのわからないまま生きている。私は、松子と同じだ。

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