摂氏零度の少女 新堂冬樹 感想
この間、ニコニコ動画でデキビジを見ていたら新堂冬樹が出ていた。
それを見るまで、顔と名前はそれぞれ知っていたのだが、その二つが結びついていなかった。
ああ、この人がそうなのか、と初めて知った。
金髪にサングラス。
あの風貌で、甘い小説と黒い小説を描き分ける大人気作家だという。
デキビジでは、中卒である経歴に絡めて色々と語っていた。
中卒であることも、中卒でいきなり東京に出てきて、不動産屋と貸金屋を経て作家になったのもそれで初めて知った。
そもそも作家という職業は突き抜けている人が多いのだろうが、この人の突き抜け方は群を抜いている気がする。
学歴無しで様々な職を手がけ、作家にまでなった。
陳腐な言葉だが、自己実現の塊のような人だろう。
それで、この人の本を読んでみたくなった。
選んだのは、「摂氏零度の少女」だ。
摂氏零度の少女 |
この本は、母殺しの少女の話だ。
少女は、母を愛しながら、死が最高の安らぎなのだ、という理屈で、崇高な実験と称して少しづつ母を殺して行く。
まるで感情がないかのように、冷静な思考の中で殺して行く。
少女は、最高の安らぎを与えようとしている自分こそが素晴らしい人間なのだ、という考えを持っているようだ。
具体的に描写されてはいないが、問えばそう答えるだろう。
しかし、その考えは確信に至ってはいなかったのだろう。
少女は、母を三ヶ月かけてゆっくりと殺していっている。
確信していれば、ナイフでひと突きして一瞬で殺すはずだ。
結局のところ、この少女はいわゆる「中二病」でしかなかったのではないかと思う。
他人を見下し、自分を思想を正しいと信じ、それでいて確信できなくて自分は正しいのだと誰かに確認を求める。
確認を求めるからこそ、母をゆっくりと殺し、また姉と口論したのだろう。
そう考えて再度少女を見ると、あれほど冷酷に描写されていた少女が哀れに思えてくる。
少女は、他人に承認されたかったのだ。
ただそれだけ、なのだと思う。
摂氏零度の少女 |