109分で世界が変わった、はあちゅう氏「自分への取材が人生を変える」
私は、はあちゅう氏の本を読んだことがなかった。読む価値がないだろうと思っていたからだ。
自称作家
はあちゅう氏は、インターネット上では著名人と言っていいだろう。フォロワー数は16万4千人。たくさんの人が、彼女のふるまいに注目している。私も彼女をフォローし、そのツイートを毎日、読んでいる。
しかし、私は彼女の本を読む気になれなかった。彼女はめんどくさい人だ、と感じていたからだ。
少し前に、「ライター」という呼び名に関する炎上があった。はあちゅう氏を誰かが「ライター」と表現し、それに、はあちゅう氏が反論したのだ。「私は作家だ」と。
これを見て、私は、はあちゅう氏を面倒な人だなと感じた。呼び名など、どうでもいいではないか、と。
自分がどう呼ばれるかを気にする人は、小者であるように思えた。大切なのは自分が創造しているモノの価値だ。ライターと呼ばれようとも、作家と呼ばれようとも、自分が書いた文章が変わるわけではない。どう呼ばれるかを気にしているはあちゅう氏は、自分の文章に自信がないのだろうと考えた。
そして、そういう自称作家の文章を読むことは、時間の無駄のように感じていた。
はあちゅう氏の実績
しかし、はあちゅう氏は本をたくさん出している。売れるのだろう。Amazonには、はあちゅう氏の著者ページまである。数えてみると、著書は73冊もあるようだった。kindle本が多かったので、意地悪く紙の本だけを数えなおしてみたが、それでも20冊ほどは出しているようだ。
「半径5メートルの野望」に対するコメントなどは、よく私のタイムラインにも流れてくる。絶賛する内容が多かった。
しかし、それらを見ても、私は、はあちゅう氏の本を読む気にならなかった。人は、自分が費やした時間を正当化しがちだ。本を読んだら、その読んだ時間を無駄だったと思いたくないから、「良い本だった」と言いたくなる。
本気の人
しかし、そう思いつつも、私は、はあちゅう氏のフォローをやめなかった。はあちゅう氏は、本気の人だ、と感じていたからだ。
はあちゅう氏は、炎上の人、だというイメージがあると思う。
私も昔、一度、炎上を経験したことがある。特殊なウェブサイトを作って叩かれたのだ。twitterの通知が止まらず、一晩中、ツイートに返信した。眠れないまま翌朝、会社に行った。炎上は、私生活を具体的に破壊する。
はあちゅう氏が何回炎上したのかはよく知らない。ただ、私生活を削り落としてまで何かを繰り返し主張するのは、簡単なことではない。おそらく私とは価値観がかなり違うが、細かい遠慮などをせず、本音で生きている人なのだろう。その点で、彼女の本はいつか読んでみたいと思っていた。
サイボウズ青野氏の別姓訴訟提起
最近、サイボウズ社長の青野氏が、夫婦別姓訴訟を提起した。男性側からの訴訟ということで、だいぶ話題になった。
サイボウズ青野社長に聞く 「夫婦同姓のコスト」と「議論のコツ」
私は、これに賛同の気持ちを持った。自分の名前は、大切なものである。自分がどのように呼ばれるかを、自分でコントロールしたいと考えるのは、自然な思考に思えた。私は、日本は遅れている、とかなんとか言いつつ、ニュースを引用してSNSに投稿した。
そこで、ふと思った。これは、はあちゅう氏のライター炎上の件にも通じるものがある、と。
はあちゅう氏も、青野氏も、自分がどう呼ばれるかを自分でコントロールしたい、という問題提起をしている。そして、私ははあちゅう氏には共感できず、青野氏には共感した。仕事の肩書と苗字という差はあれど、自分の呼び名を自分でコントロールしたい、という発想は同じだ。
私は、自分の中に矛盾を感じた。はあちゅう氏に「大切なのは自分が創造しているモノの価値であり、呼び名を気にするのはおかしい」と言うなら、青野氏にも同じことを言いたくなるはずだ。しかし、私はそうではなかった。私は矛盾していた。
はあちゅう氏の本を読みたくなった
私の矛盾の原因がどういうものなのか、正確なところはわからない。ただ、なにか理屈の通らないものが自分の中に存在することは明らかだった。そういうことに気付くのは、貴重な経験だ。
私は、はあちゅう氏を少し見直した。はあちゅう氏の炎上は、私にとって価値のあるものになった。彼女のすることには、私の知らなかった意味があるように思った。
だから、はあちゅう氏の本を読みたくなった。
自分への取材が人生を変える
12月6日、はあちゅう氏がこんなツイートをした。なにやら、小さな本を出すという。「自分への取材が人生を変える」という本と、「自分への取材手帳」という手帳だ。
あーーやっと言える!
ケイクスを運営しているピースオブケイクさんから、新書のレーベルが出ます。その第一弾として「自分への取材が人生を変える」という本と「自分への取材手帳」という手帳を出させていただきます。
とりあえずサイト見てください!#自分への取材手帳https://t.co/0ZIsux7dB5— はあちゅう (@ha_chu) December 6, 2017
とても小さい本
すぐに買った。とても小さな本だ。私のスマホとちょうど同じくらいの大きさ。その小ささに、少し驚く。
字も、少し小さめに思えた。しかし、読みづらいと感じるほどではない。
冗長ではない本
私は、こういう小さい本が欲しいと思っていた。本に、冗長さを感じることが多かったからだ。
これまでの本は、紙面の面積も何パターンかで決まっているし、ページ数も、ある程度固定的である。だから、書かなければならない文章の量は、おのずから決まってくる。
一方、作家さんが本に書き込めたいことの量は、さまざまなのだと思う。そのせいで、売られている本は、水で薄めたような冗長な文が多いように感じていた。
もちろん、作家の方々は、みんな全力で書いているのだと思う。でも、読者が求めるものは様々である。何かの目的で本を読みたいと思っても、いざ本を開くと、求めていない文章も混ざってくる。それらの文章にも、もちろん意味はある。でも、読者のニーズとマッチするかどうかはわからない。マッチしなければ、冗長、退屈、と感じる部分はどうしても出てくる。
その点で言うと、この小さな本は、おそらく、本の名前の通り、自分を掘り下げるための文章だけが書かれているのだろうと思った。
田園都市線の49分で読んだ
この日、私は渋谷から宮前平へ行く予定があった。田園都市線に乗り、座席に座ってこの本を読んだ。
予想通り、はあちゅう氏の文章は、少しめんどくささを感じる文章だった。私にとっては、あまり好きではない文体だ。でも、自分と属性の違う人の文章というのは、読みづらいのが普通なのだろう。そういう読みづらさを感じた経験が少ない私は、選択する本が偏っていたのだろうと考えた。
宮前平に着いた時点で、半分ほどまで読み終えていた。急行を使って23分間の乗車であった。
用事を済ませ、また宮前平駅から渋谷行きの電車に乗った。帰りは急行を使わず、各駅停車のまま渋谷まで行くことにした。乗り換えで気持ちを散らさずに読みたかったからだ。
26分後、渋谷駅に着いた時には、読み終わっていた。
読んでいた時間は、往復で49分である。1時間弱で読み終えた。
内容については、割と平凡であったように思う。驚くような手法が解説されているわけではない。しかし、本を出し続けているはあちゅう氏が、こういう平凡な手法を淡々と行っている、ということを知ることに大きな意味があるように思った。
人は誰しも、ラクな道はないか、コツはないか、と、近道探しにムダな労力を使ってしまう。この小さな本を読めば、そういう誘惑に乗って時間を空費することはなくなるだろう。
自分への取材手帳
私は、この「自分への取材が人生を変える」とペアで販売されている、「自分への取材手帳」も買っていた。表紙に「MY DIARY」としか印刷されていない、小さな手帳だ。
私は愚直に、これを書いてみることにした。次の予定まで、1時間ほど空いていた。私は渋谷から新宿へ移動し、歌舞伎町のバーガーキングに入った。
私は40歳のおっさんだ。はあちゅう氏はアラサー女子だ。そんな若い子の指示に従って自分を掘り下げる文を書くというのは、少々抵抗を感じた。
その抵抗感は、若い女性への差別意識、ラベリング、呪いとイコールである。私は、絵に描いたようなダメなおっさんになりつつあったのかもしれない。
しかし、書いてみたい、いま書こう、という決意が自分の中に固まっていた。
この「自分への取材手帳」は、一ヶ月ごとに記入する方式になっており、一回で4ページづつ記入欄が用意されている。先月の11月について、素直に書いてみた。
書いたものは以下の通りだ。私はプログラマーなので、ペンを使って何かを書くということがほとんどない。だから、就職してから字がひどく汚くなってしまった。
意外とたくさん書けた。こんな自分でも、いろいろなことを考えていたのだなと気付かされる。このように書かないと、考えては忘れ、せっかく考えたテーマも、すぐに脳の中から消えてしまうのだろう。脳の中の霧が晴れたような感覚になった。
次のページ。こちらは、趣味的なことを書くページになっていた。さっきのページは仕事がメインのページであったのでたくさん書けたのだが、こちらは空白が目立つ。自分の時間を持てていないことが、視覚的に明らかになった気がした。
手帳への記入は、1時間ほどで終わった。田園都市線の49分で読み終わり、そのあと1時間かけて手帳に文章を書き、自分を棚卸しすることができた。小さな達成感があった。自分が今後何をしていきたいのかが、一歩明確になった。この109分間で、世界の見え方が変わった気がした。
はあちゅう氏の本気には乗る価値がある
このように、何らかのワークを読者に求める本は、これまでもたくさん存在した。でも、実際に手を動かした経験のある人は少ないだろう。私も、ほとんどやったことはない。
でも、今回はこのように書く気になり、実際に書けた。
実際に書くことができたのは、「自分への取材が人生を変える」が冗長でない本であったことが大きいと思う。一気に読み終え、本が私に熱を与えてくれて、その熱で手帳への記入まで終えることができた。わずか109分で。
出版業界のことはよく知らないが、この少ない文章量の本を出すというのは、とても意欲的なことなのだろうと思う。そして、その意欲的なこころみに乗れる作家さんは多くないのだろう。本気で生きているはあちゅう氏だからこそ、その第一弾を書けたのかもしれない。
はあちゅう氏の本気には乗る価値がある。そう思えた。私にとっては読みづらい文体だが、たぶんまた他の著作も読むと思う。これからも、本気の何かを出し続けていって頂きたい。
補足
この「自分への取材が人生を変える」は、Amazonで紙の冊子もkindleも両方売っている。また、kindle unlimitedの対象になっており、加入している人はタダで読めるようだ。
一方、「自分への取材手帳」は、Amazonでは売っておらず、note.muでしか買えないらしい。note.muではこの2冊のセット版も売っている。
この小さな本は、その大きさの珍しさから、所有欲を満たしてくれる性格がある。kindleではなく紙で買うのも悪くない。